京都の商人のおしえ

今日から暦の上でも衣替え。着物も単衣のシーズンになる。※裏地のない着物

昨年10月から着物をきはじめた私にとっては、はじめての単衣の季節だ。当然6月と9月のみに着る(ぜいたくな)単衣の着物など持っていない。
当初は「夏はあついし着物はおやすみ」なんて思っていたが、お茶会のスケジュールはそう都合良くおさまってくれない。今週末にひかえたお茶会用にどうしても単衣のよそゆき着物が必要になり、意を決して2ヶ月半ほど前、誂えることにした。懐は寒いを通り越して氷点下だが、「着ていくものがないので欠席します」は通用しないのでやむをえない。既製品で間に合わせることもできるが、はじめて袖を通す単衣なのだから長く着れるものを選びたかった。

先月半ばに着物が仕上がってきた。何分割にもわけての支払いのことは一旦わきにおく。呉服屋さんがうやうやしく私の名前(○○様)が書かれた畳紙をあけ、ほやほやの着物をみせてくれる。反物だった布が自分だけの特別な着物になる。この瞬間はありがたいような気恥ずかしいような恐れ多いような気分。呉服屋さんがいろいろ説明してくれる間「もったいなくて着れない」をいつも繰り返してしまう。

淡いグレーの、墨流しの模様の着物。あわせて鴇色の袋帯。
お茶の先生に「グレーにした」というと「またそんな渋い色を選んで」と言われてしまったが(私に限らずさいきんは若者がシブ好みの傾向にあるらしい、とも)

この色は、太陽の光で白銀のようにもなり
薄明かりでは桜色にもなる、灰色であって灰色ではない移ろう色。

着物単体のインパクトというよりは、重ね衿や帯との合わせ方で印象を変えられる、いかにも京都らしい着物だと京都の商人はいった。家族経営で何代も続く老舗の呉服屋さん。セールストークでも、DNAに着物が刻まれた人たちから学ぶことは多い。

ふだんの着物はリサイクルでもプレタでも、少々サイズの合わない着物でもいいけれど、
いざというときには、やはり自分だけの、ほんものに身を包みたい。そしてそれに見合うひとでありたい。