桜と茶碗と香袋

桜雨、桜流し、花散らし……桜が盛りのころに降る恨めしい雨も、昔の人はなんて美しく表現したんだろう。桜の下で酒盛りする酔客だって、桜を愛でる「桜人」といえば、あら風流。日本語の美しさにうっとりとする季節です。

ちょうど北の丸公園の桜が見ごろだろうなぁ、と花見もかねて足を運んだのは、竹橋の東京国立近代美術館で開催中の『茶碗の中の宇宙 樂家一子相伝の芸術』。京都での展示がようやく東京に巡ってきました。


「千家十職」のひとつとして、茶をたしなむ人にとっては、特別な存在の樂家と樂茶碗。 
初代長次郎から次代(十六代)篤人さんの作品まで約160点の名品を集めた、まさに樂家450年の歴史を辿れる超豪華な展覧会となっています。十五代 樂吉左衞門さんが「私が生きている間に二度とこれほどの規模の展覧会は開催できない」と仰るくらいですから、必見です。

小さな茶碗が宇宙を支配する「茶碗の中の宇宙」という展示名のもとになった、削ぎ落とされた美のあり方を考えさせられる「大黒」「無一物」を拝めたのはもちろん、居並ぶ赤・黒樂茶碗のなかでひときわ清楚な存在感を放つ白樂茶碗を拝見できたのも収穫。
個人的は三代目 道入さんの作品がお気に入り、光沢のある黒樂茶碗《銘 青山》にははっとさせられるものがあった。

初夏のお茶席で飲んでみたいのは(勝手に妄想モード)、十一代 慶入さんの「貝貼浮文白樂茶碗《銘 潮干》」。なんと茶碗に貝と小石があしらわれている。お茶を飲み干したら海水がひくように貝や小石が現れると思うと、想像しただけでうっとり。

……と技巧をこらしたデコラティブな作品もおもしろかったのですが、一際感動したのは、当代 樂吉左衞門さんの世界。

まず”あお”の美しさ。日本の豊かな伝統色をもってしても、表現はできないであろう多彩な藍、青、碧……好きな色だからなおさら響く。そして彫刻作品のようなダイナミックな造形。
「焼貫」という技法が特徴らしいのだけど、詳しいことはよくわからなくても、エネルギーの波動みたいなものを感じた。「大黒」「無一物」が静の宇宙としたら、焼貫茶碗に感じたのは躍動感。全ての作品は同じものはひとつとしてないけれど、さらにコンマ一秒の世界の、一瞬の”動”をきりとって作品に昇華させたような……二度と訪れない一瞬を、こんなふうに残すこともできるんだ。

あとは銘の美しさ。たとえば、「夜起対月」「我歌月徘徊」「月華千峰」……幻想的な銘が心に残った。「涔雲に浮かんで」「巌上に濡洸あり」シリーズなどは自作詩が銘になっていて、作品が生みだすストーリー性に、ほうっとなってしまった。銘までも作品の一部ということがよくわかる、深淵な世界。
最近涙腺がもろくて、このスペースでちょっぴり泣いてしまった。茶碗を見ながら泣いてる人って、ちょっと、いやかなり怪しい……

ほうっとして、外で桜を見ようと思ったら、長襦袢の裾までめくれそうな花の風……


すごすご退散し、そのまま和の気分のつづきで、日本橋三越で開催中の「松榮堂のてしごと展」へ。 
京都の香老舗〈松榮堂〉の香りのグッズやお道具の展示などもあり、香りに興味のある人はなかなか楽しい空間。

好みの香りと袋を選び、その場で職人さんに匂い袋を作ってもらえる制作実演があったので、あまりの可愛らしさに思わずひとつ購入してしまった。

香りの世界はワインと似ていることもあり、個人的にかなり興味のある分野。香道も将来習ってみたいな。
(私はどこへ行くんだろうとおもいつつ)

美の世界は深すぎて、底なし沼のようです。


今日の着物は遠目だとデニム着物っぽくも見える青の小紋に、紬の帯(とってもしめにくい)。帯揚げは八掛の色と合わせてオレンジ。古布のはぎれをちょきちょきして、自作してみました。あー、着物も作ってみたい。やりたいことが多すぎて、時間がいくらあっても足りません。。