いつかくるそのときに

9月にスリランカに行こうという話をしていた翌日、爆弾テロが起こった。
死者は増え続けているようで、巻き込まれた方々のことを思うと言葉もない。

その日わたしは、麻婆茄子を作る予定だった。あつあつに熱したフライパンに茄子を勢いよく投入したら、茄子の水分が多かったせいか油が壮大に跳ねて、左腕にやけどをした。あっと思った瞬間だった。
慌てて冷やしながら、じわじわ広がる痛みのなかで思ったのは、事故でなくなった方のこと。
あっと思った瞬間に意識が飛んで、もう2度と目覚めないということ。
本人の意志に関係なく、人生が強制終了される……。
考えただけで涙が出てくる。怖い。

新聞を見れば、毎日いろんなことが起こっている。
でもきっとみんな、事故や事件は自分の家族にはおこらないと心のどこかで思っている。

池袋の車の暴走事故もそう。昨日の新聞(4/23読売新聞朝刊)に載っていた、事故でなくなった母娘の、残された夫の言葉。「当たり前のように一緒に生きていけると思っていた大切な2人を失い、失意の底にいる」

唐突に、大切なひとを奪われる悲しみは、想像を絶する。
「失意」に「底」なんてあるのかな。

「人生80年とすると、あと50年もある。その中でいろいろやればいいもん。」
このような事故や事件が起こるたびに、心のどこかでそう思っている自分の能天気さに気づく。人生は一本の線のようにみえて、連続した点であることを思い出す。

 いつかくるそのときに、見るかもしれない走馬灯に、なにが映るのか。
むりに頑張らなくていい、せめてそこに悔いがないようにしたい。

これを書きながら思い出していたのは、モンパルナスのキキの3か条。路子先生に教えてもらったキキの法律(路子先生のこちらの記事もどうぞ)。

 

第1条 私自身の主人公は私である。

第2条 今夜、私は自分がしたいことをする。

第3条 今夜、私は踊りたい。

……まさに。

亡くなられた方々に、ご冥福をお祈りします。
残された方々に、お悔やみを申し上げます。