お茶をやる意味

お茶の先生のご自宅で初風炉の茶事稽古がありました。

6月・9月に着る単衣(裏地のない着物)をあまり持っておらず、この時期のお着物はほんとうに悩ましい。一張羅の単衣の付け下げと袋帯では少々大げさすぎるし、どうしよう。と思っていたら、先生が「社中の稽古なので、そこまで気にしなくて大丈夫」と仰って下さったので、結局カジュアルな格好でお伺いしてしまいました。

6月になると着たくなる菫色の竹楊柳に水彩画みたいな江戸紅型の塩瀬帯。ラメが入ったビタミンカラーの紗銀の帯揚げに道明の冠組。

他にお一方、麻っぽい着物に帯の方がいらっしゃいましたが、後の女性陣は単衣の小紋に銀糸の入った九寸名古屋帯の組み合わせが多かったです。竹楊柳は涼しいのですが、シワが気になりました。やはり長時間正座で座ったりするシチュエーションには不向きかも。シルックあたりの洗える単衣をお茶用に1枚作りたいなぁ……。
先生は、渋い煉瓦色の紋付の無地に、源氏香の上品な九寸名古屋にレースの帯締め。エレガントな装いで素敵でした。うちの先生は着物の着こなしが粋で参考になるのです。

今日は前半部分(中立ちまで)の半東役を仰せつかり、お白湯をお出ししたり懐石の盛り付けをしたりお料理を運んだりのお手伝い。

いつもは客としてのほほんとおいしく料理とお菓子とお茶を頂くばかりでしたが、裏側に入ってみると、お客様をおもてなしすることのたいへんさがよくわかる……。

懐石はお濃茶をおいしく頂くための前座で、後半からがいよいよメインなのですが、その頃には睡魔が……笑。12時にスタートし、終わるのは16時半ですから最後の方はヘロヘロです。

ちょこっとお手伝いをしただけでこれなのだから、先生は毎回相当お疲れになるのでしょう……。こうして茶事のお稽古をさせて頂けることにあらためて感謝です。


帰宅後ベッドに埋もれながら、お茶をやる、ということについて考えていました。作法などの「型」を身に着けることは大事だけど、その先に何があるのか。客として粋な振る舞いができるようになりたいのか、亭主としてお客様を気持ちよくおもてなしできるようになりたいのか、はたまた教える側になりたいのか。もちろん単純に、お茶を通して季節を感じたい、日本文化を学びたい、でもいいし、美しい立ち居振る舞いを身に付けたい、とかでもいいと思う。

私は正直、毎週のお稽古に行くのがいっぱいいっぱいで、なんだかよくわからなくなっているなぁ……。今、数十年単位の長いスパンで極めたいことがいくつもあって、エネルギーが分散されている感じ(うち一つに集中してて、他へ向ける熱量が弱くなっている)。

ただ、お茶をやること=単に型を覚えるための稽古になってしまったり、自分をよく見せるためのファッションにはならないようにはしたいと思っています。