私と新聞のおいしい関係

新聞をポストからとる、そんな簡単なことがおっくうな、ここ最近。 
2日分の朝刊・夕刊がたまりポストがもっさりしてきたところで、「やれやれ」とようやく中身を取り出す日々がつづいている。

新聞の束を前にして一番ときめくのは、広告を選別する瞬間である。興味のない広告を排除すること、これはある意味、新聞タイムの幕開けを告げる儀式のようなものだ。

そして選りすぐられた広告に目を通す数分感は、くつろぎの時間。べつに見ても見なくてもどっちでもいいゆるさが、落ちつくのだ。 

このおかしな習癖は、小学生の頃からである。自分が買うわけでもないのにスーパーのちらしを見比べたり、裏が白紙の広告(しかもこれにも厳しい基準があり、つるつるではなく、さらさらの紙でなくてはならない)を集めるのがすきだった。

ちなみに我が家は読売新聞派。 
さっと1面の見出しに目を通したあとは、うしろの社会面から開く(最近はテレビも見ないので、テレビ欄すらチェックしない)。そして文化面やくらし面を重点的に読んでいく(「人生相談」は欠かせない)。

こんな不まじめな読み方をしている私だが、土曜夕刊だけは別。きちんと、1面からめくる。

2面には、「いしい OISHII」と題し、食に関する記事が集まっているのだ。

紙面の大部分を占めるのは、各国レシピの紹介だが、料理のつくりかただけでなくその料理に関する記者のコラムや発案者のコメントも掲載されていて、一体感があって、みていて楽しい。「これは家でもつくってみよう」と、そのページごと切り抜き保管しておくこともしばしば。

レシピの左下には「こぐれひでこの食悦画帳」というコーナーがあり、ほんわかとした手書きのイラストともに、こぐれひでこさんの食エッセイが掲載されている。

丁寧なくらしが垣間見えるような文章が好きで、必ず読んでいるのだが、この日の題名は「ジェノベーゼ 緑のソース」(8月の、まだ夏の盛りの時期だった)。

驚いた。ちょうとその数日前、スーパーで安かったバジルを使い道も考えずにかごに放り込み、ちびちび使っていたものの、しなびてきたので、今日こそバジルのソースにしよう!と思っていたからだ。

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何でもないことだけど、「ふふ、あんたの考えていることなんか、お見通しよ!」と読売新聞に言われたようで、きゅんとしてしまう瞬間。

バジルソースの作り方に該当するのは、次の部分。

「松の実をフライパンで煎る。バジルを葉だけにする。バジルの葉、松の実、ニンニク、オリーブ油、パルメザンチーズをフードプロセッサーに入れて、ペースト状にする」

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あえて細かい分量を書かずに、あくまでエッセイのなかで材料と手順をさらっと紹介しているところが、好き。 
つくるんだったら、自分の感性で、味見しながら、つくってね。こぐれひでこさんの声が聞こえるようだ。

「レシピなんてみなくてぱぱっと作れるわよ!」という料理のベテランとちがい、ひよっこの私は、いろいろなレシピを見ながら料理を作るのが基本。
そのとき、いつも手順を忠実に再現するのに躍起になり、料理をしているはずのに、本来料理に必要な感性を発揮していない気がしていた。

「こぐれひでこの食悦画帳」は、そうじゃないよね、と料理や食のたのしさを私に思い出させてくれたのだった。

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“適当に”つくったバジルソースを活用して、ひとりランチはすっかり楽しいものになった。

こんなふうに、突然に面白い記事にであったりするから、新聞はいいな。

さて、土曜の夕方。1面から夕刊をめくる時間だ。