「LA LA LAND」でなぜ泣けるのか

(映画の内容が含まれているので、まだ見ていない方はご注意を)

一夜あけて、昨夜の「LA LA LAND」熱はなんだったのか、と朝からぼんやり考えていた。 
まだ微熱気味。

映画を見に行くときは、自然に入ってくる情報以外は下調べせず、できるだけ先入観なしでいくようにしている。

この映画の場合は、受賞戦歴やSNSで自然と入ってくる評判の良さから、ちょっぴり期待して出かけた。とはいえストーリーはいっさい知らなかったから、♪ラララ〜とうたうような題名と夢の国を彷彿とさせるポスターから、いわゆるハリウッド的なハッピーストーリーだと思っていた(きっと監督の思うつぼ)。

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だからこそ、余計にショックだったのかもしれない。 
「夢の国」にいたと思ったら、強烈に現実に引き戻されたような。
もう涙が止まらなくて恥ずかしいくらい泣いた。

何がそんなに響いたのだろう(ちなみに千葉にある「夢の国」は苦手です)。あとになって考え込んでしまった。

そもそもストーリーは、アメリカンドリームを夢見る若い二人が、挫折を味わいながらも最後には(ある意味)うまくいく、”平凡”な物語。

あとでみた作品評価には、「すべて想像の範疇でつまらない」「ありきたり」などの批判があったけれど、そりゃそうでしょうよ。

冬、春、夏、秋……と季節の移り変わりがストーリーの伏線として設定されていることからも、出会い、盛り上がり、そして……という流れは予想がつくし、実際その通りに話は進む。そもそも人生だって、だいたい平凡なものじゃないか、と思う。 
でもそこにドラマがある。

作品には、ストーリー抜きで純粋に胸を打つ部分も多い。 
冒頭の圧巻のダンスシーンからはじまり、決して完璧ではなくても調和のとれたダンスや歌もいいし、間に入ってくる哀愁漂うメロディーが、感覚的に哀れを誘う。

私は、といえば冒頭の渋滞でのダンスシーンから既にじわりときた。

サンバを思わせる明るいリズムとダンスから溢れ出る、圧倒的な「人間讃歌」のメッセージは、まさに一点の曇りのない夢の世界。車も人生もうまく進まないけど皆で歌って踊ればハッピー、という超絶ポジティブな世界観に、「そっか。基本は、世界って美しいものなんだよなぁ…」と妙にセンチメンタルな気分になる。よく類似性を指摘されるように、「ロシュフォールの恋人たち」を思い出すシーンだ。

途中、4人の若い女性が、自分を成功へと導いてくれる”someone in the crowd”を探しにパーティーへ繰り出そうと、色鮮やかなドレスを翻しながら踊る。 
そして鏡のなかの自分にこう呟くのだ。
Somewhere there’s a place where I find who I’m gonna be

考えさせられるシーンだった。

自分を奮い立たせて行ったパーティーで感じる孤独感。
人がたくさんいるのに、妙に世界でひとりだけの感覚。
描かれるのが覚えのある感覚だから、自分の姿と重なる。
(時が止まってる感が、JOJOの「ザ・ワールド!」っぽいんだけど……)

一方で、微妙な距離感を感じる部分でもある。

「何者でもない自分」から抜け出そうともがく期間の、入り口か中盤かの違いというか。
同じ「何者でもない」状態でも、入り口にいたときの、ガツガツした若さは私には、もうない。それを眩しく思う部分と、まだ抜け出せきれてない苦しい気持がいりまじって、なんとも複雑な気分にさせられるのだ。

何者かになりたい!という「自分探し」の作業は、若者のものと思われがちだけど、そんなに早く自分を掴みとれる人って少ないんじゃないだろうか。30でも40でも50でも、自分の立ち位置がぐらついて世界が崩壊しそうな気分になることだってあるのではないか。

そもそも「自分探し」って抽象的だなあと思っていたら、ちょうど今読んでいる茨木のり子の「詩をこころを読む」のなかで、わかりやすい言葉があった。 
第三章、「生きるじたばた」のところ(牟礼麗子の「見えない季節」の詩の解説文)。

十代の後半ではっきり自分をつかむことができる聡明な人もいる、と前置きしたあと、そういう人のことを「自分の時間を何に一生捧げて悔いないか、自分の素質を早い時期に見定めることができた人」と説明している。たしかに自分をつかむというとぼんやりしているけれど、猛烈に好きなことなら、わかる。そう思うと私は、徐々に掴みかけているのかもしれない。 

あとはINAXで見たということもあるのかな。二人の手が触れる瞬間とか、一瞬の切り取り方がものすごく巧い。

そういう細かい部分の感動もありつつ、涙腺が崩壊したのは圧巻のラストシーン。あんなに人間讃歌の夢の世界ではじまったのに、落ち着くところはやはり現実。 
完全に哀しい話でもなく、完全にハッピーでもなく、「ここはうまくいかなかったけど、でも二人とも今は幸せでよかったよね」という着地感が、妙にリアリティ溢れて、せつない。

このラストの感覚で、「シェルブールの雨傘」を思い出した。お互い幸せだけど、愛し合った二人は一緒になれない。女性がさっさと別の男性と結婚するところもそう。

話のなかでは二人とも大きな夢をかなえ成功するが、別に夢の大きさはここでは問題でなく、「昇進する」「ふつうの家庭を持つ」だって同じことだ。

「何かを失う変わりに、今の生活がある」という感覚が、自分たちに置き換えられるからこそ、泣けるんだと思う。映画館でぐずぐずいってたひとは、映画の話以上に、自分の人生を振り返っているにちがいない。

逆に、過去に夢を諦めてしまった人には、辛いかもしれない。
夢はいつ諦めればいいのかという、重要な問いが含まれているから……。

夢だけでは食べていけない、でも夢がなくては生きられない(精神的に)。
というか自分の夢ってなんだったっけ、と立ち止まるきっかけになると同時に、
小さい夢でも大切にしたいと、最後は前向きな気持になる映画だった。


そんなことをつらつら考えながら飲んだワインは、
「初心に還れ」
とまさに言われているような…… 
凛という言葉がよく似合う、清らかなワイン。