肩書きについて考える

きのう、久々に会った路子先生にもらった元気のことを書いたすぐあとに、この記事を読んだ。 
立ち直りの足がかりと「異邦人」
※「山口路子World」より

…感涙。

私のことについて書かれた以外の箇所も、胸にしみます。私が「物書きの条件」と思っている「書くことへの畏れ」と「自分自身を見る第三者のまなざし」が彼女にあることがよくわかると思います。

路子先生は、こう前置きしたあとに、私の2つの記事を紹介してくれていた。

私のことを書いてくれて嬉しいと思う反面、 
「物書きの条件」がある、なんて、本当におそれおおい。

ここで、ちょっと前から考えていたことが、再燃。

私がやっていること、やろうとしていることは、何なんだろう。

そもそも、個人的意見ではあるけれど、「物書き(もの書き)」という言葉には、なんだか独特のニュアンスがある。
ものを書く=もの書きだから、けっして間違っていないのだけれど、たとえば「しがない物書きですから」と謙遜してみても、そこには誇りのようなものがにじみ出ている気がする。

私は自分のことを、まだ「もの書き」と名乗る心構えができていない。 
だから、職業をきかれたら、「駆け出しのライターです」と答えてしまう。
メディアにも書いていないころは、「自称ライター」だったから(苦笑)、堂々と「ライター」と名乗れることをありがたく思っているのだが、「もの書き」と「ライター」の違いはなんなのだろう、と考える。

そこで思い出されるのは、「クリエイター」と「アーティスト」の違いだ。 
以前、デザインの仕事をしている知人がこんなことをぽろりと言った。 
「わたしはアーティストじゃなくて、クリエイターだから」

その言葉が妙にひっかかって詳しくきくと、知人は、クライアントから依頼をうけて、その意向にそってなにかを生みだしていくのが「クリエイター」、そうではなく、自分のやりたいように、ゼロから何かを生みだしていくのが「アーティスト」。そういう意味で使ったようだ。

知人の考えでいくと、文筆の分野で作家といわれる人、小説でもノンフィクションでも、自分の書きたいテーマで書いている作家はアーティストで、編集者やクライアントから依頼があったテーマに特化して書くのはクリエイターということになる。でもどちらもやっている人もいるし、別に正解があるわけでもない。

文章に個性を出すかどうか、というのも大きな問題だ。 
そのことも、以前路子先生と話をしたことがあった。

「その人にしか書けない記事を書く」というのは大事なこと(じゃなければ、書く意味が無いと思っている)だけれど、個性を出すかどうかは別問題。
個人的な考えや嗜好など、書き手の人物像がいっさい消されていても、何を切り取るかでそのひとの個性がにじみ出る文章は、いい文章だと路子先生はいっていた。

なんてつらつら考えて、まとまらないけれど、目下の肩書きは必要だ。 
そうか、英語にすれば「物書き」も「作家」も「ライター」もすべて「Writer」なんだよな。


ということで、わたしの名刺の肩書きは、現在「Writer」になっている。