散り際は、おもいきり華やかに。

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文楽というものをはじめてみた。歌舞伎をみる機会はあっても、文楽、人形浄瑠璃の世界は縁がなく、「あの、人形が動くやつ?」くらいの貧弱なイメージしかなかった。

演目は近松門左衛門の「冥途の飛脚」。初心者にもわかりやすい演目で安心。


幼稚な感想になってしまうのだが、まず何に感動したかって、人形浄瑠璃をあみだした江戸時代のひとたちの、娯楽への情熱、いや「なにがなんでも楽しんでやるぞ!」という執念にである。「こんな手のこんだ娯楽を考えつく人間って、すごいなぁ」とただ感心した。紋付の和服をきた人間が、ときには3人掛かりで人形を操るのである。老若男女、かつそれぞれのキャラをみごとに表現し、ある意味人間以上に人間らしい、人形の動き。それに太夫の語り、三味線の音色が重なる。

会場が一番湧いたのは、遊女見習い、禿(かむろ)の弾き語りの場面。人形の手の動きが実際に演奏している三味線弾きと連動しており(ちゃんと正確なコードを押さえている)、見せ場のひとつ。



「冥途の飛脚」、冥途という言葉からもわかるように心中ものなのだが、物語が悲劇的になる最後の舞台では、5人の太夫、5人の三味線弾きによる華やかな演奏(それまでは1太夫、1三味線)。悲劇の部分をあえて華やかに盛り立たせる演出に、和の様式美を感じた。

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